おにいさんはかく語りき - 今の子にエヴァンゲリオンの話って分かるのか?
おにいさんさん思った。
いまのガキンチョに、エヴァンゲリオンってどう映ってんだろうって。
まあだからもし見ていてわかんない子もいたらと思って書く。
ここでは、新しい映画の方は語らないよ、そもそもあれは話終わってないし。
つまりここではアニメ版と旧映画版について語るわけだけど。
(なのでそこらへんは見ている前提のネタバレも内容的に当然出てきてしまうので一応注意。)
どうなんだろう、この記事を見に来る人って正直いるかどうかすらわからないんだけど・・・なんか急に書きたくなって聞きたくなってブログなんて開設しちゃったわけだ。
思うにもし見ている人がいるとしたらおっさんなような気がする。
まあ、見ても今の子多分わかんないと思う。
エヴァンゲリオンはよく見るとよくわかんないから。
それに今とは時代の空気感からして違う。
話も暗いし、シリアスなシーン多いものね。
今回記事書く際にもアニメを一切見直してないから
わりとガバガバなところ多いと思う。
でもガバガバでいいんだよね。
まあ今回はそういう細かい部分ではなくて、要はどういう話だってばよ
ってことだけ書いていこうと思う。
もちろんこれは私の解釈だけど。
でも話の分かる人たちはここはみんな同じように解釈しただろう
ってとこだけ書いていくつもり。
まあ、間違えていたら、詳しいおじさんが出てきてコメントでもしてくれるだろう。
コメント機能くらいあるよねこれ?知らんけど。
あーまえがきくそながくなっちゃったよー、話の長いおじさんになっちゃったよー
さてエヴァンゲリオンっていうのはまず使徒とか言うのに襲われている世界
で、シンジくんってのが特別な少年で戦わされるわけだ。
で、ここは基本的にどうでもいい部分。
ロンギヌスの槍だとかそういうのもどうでもいいわけ。
さて、
主人公のシンジくんは孤独な子なんだけど、シンジくんの孤独感って今の子とは基本的に違う。
放送当時は携帯も中学生が持つような時代じゃないし、2014年なのに公衆電話使ってるもんね冒頭。
この世界観ではネットに繋がってないわけ。基本的に。
今の孤独な子からネット環境、携帯を取り上げたような世界観の孤独。
だからもう空気感からして重い、シンジくんはネットで大暴れする陰キャじゃないわけ。
いまどき暗い部屋でひたすら携帯音楽プレイヤーで音楽聞いている子なんてどれくらいいるんだろう。
当時はシンジくんに共感する層はけっこう居たと思う。
ていうか、今見てもうじうじしてるとか言う人は正気かと思う。
ブラック企業とかそういうレベルではない。
私だったら最初に使徒と戦うところで失禁してあのエヴァの中の液体のなかに混ざって
多少なりとも飲尿しながら世界をすくうために戦うことになってる。
ショックすぎる。
で、エヴァンゲリオンの話の要旨の一つに、シンジくんがどうやって自己を肯定するのかっていうのは書くべきだろう。
これはテレビ版の最終話とか最後あたりの話だけど、
シンジくんは基本的に自分が嫌いなわけだ、肯定していない。
それはシンジくんのいままで生きてきた環境の中でしかたなかったのかもしれない。
母は幼くして居なくなって、父もいなくなって。
なにか特別なものがあるわけでもなくて・・・
じゃあシンジくんはエヴァンゲリオンに乗って、みんなの役に立って、だとか。
人と人とのふれあい、人間関係、心温まる話があって自分を肯定するわけでもない。
シンジくんは、自分ってなんだっていうことにある結論をひとつ持つ。
それは、自己っていうのは、他者によって形作られているということ。
若い子に向けて書くと、
君の世界にはお父さんがいる、お母さんがいる、友達がいる、いろいろな人がいる。
それぞれと何かしら関わって来て、そしていろいろなことが起こってきた。
それが、君を形作っている。
つまり自分の外の世界こそ、自分を形作ってきたということ。
いろいろな物、人達が影響しあっている。
君が生まれてきたのも、君が優しいのも、その結果と言える。
優しい人は、理由なく優しいわけでもなく、
暴力的な人は、理由なく暴力を振るうわけでもない。
君が言葉をしゃべるのも、誰かの言うことをどう感じるのも、君がどんな人かということも、そう。
君は君の外の世界に常に影響を受けているというどうしようもない事実。
だから
シンジくんの肯定できない自分もうまくなじめない世界も
外の世界との繋がりの中で形作られている。
そして、それはみんなそうだよ。ということ。
それでやっとこさ
シンジくんはやっと、自分の居場所を、自己というものを認められたんだよね。
シンジくん、おめでとう。
自分を肯定すること、そして世界を肯定すること。
これがひとつ、いわゆる普通のアニメとは違う評価を得ている。
テーマが深いっていうことが分かると思う。
いわゆる少年アニメ、漫画の域を超えている。
そして、これは思い悩んでいる中学生を救え得る内容だった。
話が理解できればね。
じゃあゼーレとかいうおじいさんたちは何をしようとしていたかというと
人類補完計画なわけだ。
で、要は人間って不完全じゃん、愛し合ったりするのも、憎しみ合ったりするのも、
不完全だからじゃん。だからもうみんなでとけあっちゃおうよ。
っていうのが人類補完計画なわけで。
旧劇場版は最後はシンジくんとアスカ以外はとけあっちゃったみたいな話だよね。
たしか。
で、たしかゼーレの人たちはこれを人類の進化だと考えてたんだよね。
まあ、みんな自己、自分を形づくる心の壁までなくして、溶けてしまう。
自己の喪失をするわけだから、人類補完計画はある種の世界心中計画とも言える。
これはシンジくんのアニメ版で出したひとつの結論と相反する内容とも言え、
アンチテーゼ的な内容だよね。
つまり対立してると言えばいいのかな。
シンジくんがやっとこさ、自分も他人も認められたのに、許せたのに。
僕たちは影響しあっていて、「自己」というものも他人の影響によって形作られているのに。だからこそ、世界はシンジくんを許すし、シンジくんも世界を許せる。
自分にも居場所はたしかにある。
それが自分も他人も不完全だから溶け合っちゃおうよ計画が映画版でそうなっちゃうんだから
ひどいよね。
でも、ああするしかなかったんだと思うけどね。
もうすこし救いのある内容には出来ないことはなかったと思うけど。
監督はあれでいい、ということなんだと。
シンジくんのお父さんは、わいはみんなと溶け合うつもりもない、
奥さんと一緒になるんやー。
ってことなんだろうね。
カヲルくんの僕にとって生と死は等価値っていうのは、
ぶっちゃけ僕に意思なんてないよ。つまり自我とか自己とかそういうのないよ
って言っているわけで。
でもシンジくんに殺されたいんだっていう、意思を持っているってことが、
彼にとってのある意味、最大の愛情表現なんだろうね。
それを汲んでくれという、うーんシンジくんしんどすぎるだろおい。
アスカは親の愛を知らないからか愛を求めるんだけど、それが性的なものになってしまってたりしてしまうとこだとか、自分の誰にも見られたくない弱い部分を使徒にむりやり知られてしまうとこだとか。
あれなにげに凄いと思うんですよね、精神的なレイプですからね。
しかも最低なタイミングですよね、思春期の時期に...
多分肉体的なレイプも考えたとは思います。
ただそれはダメでしょうし、そっちのほうでは希望があるというか、夢を見てもいいのにシンジくんにきっちり映画で折らせてますからね。
シンジくんはアスカの夢を折るためにあれをしたんだと思いますよ、
本来のシンジくんらしからぬ行動ですから。
アスカも自信があるようで自己を肯定出来ていない子でした。
弱さを見せられない子でもありましたね。
また最後のセリフはシンジくんがあれしていたのを認識はしていた
という話だったはず。
まあ、辻褄は合うと思います。
自分であれしていたひとがこんどはその手で首絞めてくるんだからそりゃそうだよ。
綾波は、おそらくクローンなんでしょうね。
そして、私が死んでも代わりはいるもの。
彼女のアイデンティティって全然ないんですよね。
ただ碇司令とは親子のような関係のようでしたし、
碇司令の役に立つことに存在意義を感じていたようでした。
彼女がシンジくんをひっぱたく珍しく感情を見せるシーンは
普通の子らしい反応だと思います。
でも、彼女がクローンなのは秘密のようでしたし、碇司令に
あまり他人と関わらないように言われていそうでしたね。
シンジくんに心開いていきましたが・・・
綾波はわりと見直さないとどんな子だったか覚えてないんですよね。
漫画版とかの記憶もごっちゃになるし、何人目とかもよくわからなくなってます。
ので、特に書くことはなかった...
基本的なところはそんなに難解な話というわけではなくて、
ただ、普通にアニメを見ている感覚で見ているとなにがなんだかわからなくなっているという話なのでした。
実際細かいところはよくわからないこと多いのは確かですね。
基本的にはロボットで怪獣と対決エンターテイメントアニメなんですけどね。
そこにこの内容をぶっこんでくるアニメ、それがエヴァンゲリオンなのでした。